和気閑谷大学「現場作業服史」集中講義【第2回】

大学の教室のアイキャッチイラスト(第1回よりも少し季節が進んでいます)

はいはいはいはい、もう2回目なんだからチャイム鳴ったらみんな席に着こうね~、毎度言ってるけどスマホはマナーモードで鞄に入れてくださーい。講義中に着メロ鳴ったら単位やんねえからなゴルァー。つーかウマ娘の育成なんて今やる必要ねえだろ、それとも今やんないと死ぬの?どうなの?あぁ?? はい、スマホはマナーモードにして鞄に入れる!


ということで、前回の講義に引き続いて作業服の歴史を話していきます。
まずは前回予告していた、皆さんもご存じのファッションアイテムについてです。


▼「ジーンズ」の発明と日本での受容

1850年代、ゴールドラッシュに湧くアメリカでドイツ移民のリーバイ・ストラウスにより丈夫なワークパンツ「ジーンズ」が商品化され、労働者の間で爆発的な流行を見せるのは皆さんご承知のとおりです。もちろんこの「リーバイ・ストラウス」って人はあの泣く子も黙る世界的なジーンズブランド「リーバイス」の創業者です。

後にリーバイスは日本でも外国商標を取得して販路拡大を図っています。で、この「外国商標」なんですが、具体的に言えば、リーバイスのジーンズのお尻の側にあるあの革のパッチ。あそこにデザインされている「2頭の馬がジーンズを引っ張っても破れないこと」を示したアレですね。あれを商標登録することで、自分たちの商品がオリジナルであり、コピー商品は許さねえぞゴルァー、という立場を日本やアジア極東地域に向けて宣言したということになります。まあほっとくと粗悪なパクリ商品が乱発されていろいろ酷いことになりますしね。さらには1923年の関東大震災の支援物資にも「香港パンツ」という名前でジーンズが含まれていたという記録もあります。

しかし日本において、労働者の作業服としてジーンズは普及しませんでした。そもそもワークパンツとして発明されたにもかかわらず、です。


▼「ディッキーズ」「カーハート」について

アメリカ生まれの現場労働者御用達ブランドとして、カーゴパンツで有名な「ディッキーズ」やオーバーオールで知られる「カーハート」についても言及しておきましょう。

ディッキーズは1922年に油田開発が盛んなテキサス州で創業されました。当時は地元の労働者たち向けに丈夫なカバーオールと呼ばれるツナギの服を作ってて、後にこのブランドの代名詞的存在である「カーキ」というワークパンツも商品化します。第2次世界大戦で政府の要請により軍の制服を供給するようになりますが、ブランドの信頼性はこの時期に培われました。軍隊での使用で要求される品質基準はアメリカの国防省によって「ミルスペック(ミリタリー・スペック)」って呼ばれていて、高品質・高耐久性を誇ることが最低条件になっているんですよね。

戦後、退役した軍人がテキサスで油田の労働者として多く働くようになってからディッキーズは労働者の間で引っ張りだこのワークウェアになります。その後、アメリカから中東の油田を経て、さらにはヨーロッパへと販路を拡大することになりますが、日本で代理店契約が結ばれたのはずっと後の1997年のことです。


一方のカーハート、こちらの創業は1889年、発祥の地はデトロイトです。もともと作られていたワークウェアはキャンプで用いられるテントの生地を転用していてゴワゴワだったらしいというなかなかにアメリカーンで大雑把なエピソードが残っております。で、現地の鉄道技士のアドバイスを取り入れることでタフでありながら動きやすいオーバーオールを開発し、20世紀初頭には全米で絶大な支持を受けるブランドへ成長します。ただこちらも日本での販売契約が締結されたのは1989年のことです。


こうしてみると、アメリカで優れたワークウェアが発売され、それが世界中に広まった後でも、わが国では一向に広まっていない様子がうかがえます。加えて、リーバイスもディッキーズもカーハートも、いずれも日本では労働者の作業服としてではなく、ファッションアイテムの一つとして受容されているのは、皆さんふだん街を歩いていて感じることではないかなと思います。ということで、次はこの理由を探っていきましょう。


▼アメリカ型ワークウェアが日本の労働者に受け入れられなかった理由

まずは単刀直入に、一般的によく言われる理由について列挙しましょう。

【時代的な要因】

*物資統制の影響により軍用品の生産が優先され、一般向け衣料の製造ができなくなった。
*アメリカとの関係悪化によりジーンズ等は敵性品として排斥された。

【アメリカ型ワークウェアそのものと日本事情の関係性による要因】

*日本で普及していたゆったりした造りの衣服と比較して、アメリカのワークウェアは生地が硬く造りもタイトであった。ジーンズなどはさらに糊が効きすぎで余計に硬かった。
*タフではあるが生地が分厚すぎて、日本の高温多湿の環境に合わず、修繕にも手間を生じる生地であったことが想起された。


ちょっと考えてみればまあこのへんはいいですかね。みなさん容易に想像できるでしょうから。ただ、本講義においてはもうちょっと別の視点を皆さんに提示します。


▼農業との親和性/日本的「しゃがみ労働」

ここで論点となるのは「作業するときの姿勢」です。具体的な日欧の比較をやってみましょう。


ヨーロッパの農業といえば小麦栽培が有名で、数多くの画家がその姿を絵画として残しています。種まきとか収穫作業についてはこんなイメージでやっていました。

ヨーロッパの小麦栽培、種まきの様子を示したイラスト

ヨーロッパの小麦栽培、収穫の様子を示したイラスト

一方で日本の農業。もちろん稲作ですよね。こちらは機械化されていない時代の稲作ということになると、こんな感じのイメージでやっていました。


日本の稲作、田植えの様子を示したイラスト

日本の稲作、稲刈りの様子を示したイラスト

はい、ヨーロッパと日本の農業で明らかに異なるのが、農民の姿勢であることに注目してください。ヨーロッパだと基本的に農民は直立していて、必要に応じて軽く腰を曲げる程度なのに対して、日本は深くしゃがみ込んでお尻を突き出すような姿勢になります。身体の使い方が日欧では決定的に異なる、というのがお分かりいただけるかなと思います。

で、アメリカ型作業服との親和性を考えてみれば、生地がそもそも分厚いジーンズとかのワークウェアは、こんな深い前傾姿勢をとる必要がある日本では動きにくくて仕方ない。だったらジーンズとかよりもはるかに薄い生地でできた衣服を着続けたほうがいいです。そりゃジーンズは日本の農業着としては普及なんてしませんよね。


補足するならば、日欧では「住居内での身体の位置」にも高低差があります。要するにどういうことかといえば、日本は伝統的に「床に座る文化」であったのに対して、ヨーロッパは「椅子に座る文化」であること、これです。いいですね? で、われわれが床に座る場合を考えてみましょう。みなさんはどういう体勢を取るでしょうか。格式張った場面においては正座ですよね。カジュアルでいい場面であれば、男性だったらあぐら、女性だったらお尻が床につく「ぺたんこ座り」だとか両足を一方に流す「おねえさん座り」みたいな言われ方をする座り方だと思うんですが、これまで挙げてきた全ての座り方は、身体のどこか一部が鋭角になって窮屈なところが生じますよね。一方で椅子に座る時を考えてみますと、おおよそ直角にとどまります。

そうなってくると、身体を包む衣服について、日本人の衣服には高いしなやかさが求められるわけで、その意味でもジーンズ等のアメリカ型作業服というのは生地が硬くて日本人の生活様式にはそぐわないのですね。ええっと「え、ジーンズでもあぐら余裕やん。なにこのクソジジイ嘘ついてやがる」みたいに思う人もいるかもしれませんが、今のジーンズって伸ばしやすいストレッチ素材になってるからあぐらとかも大丈夫なわけで、初期のジーンズはそれがなかなかに厳しかった、ってことですね。で、江戸時代以降に発達した家内工業の場面でも、これらの衣服が選ばれにくかった理由の一端があるのではないかと思います。


▼建設業との親和性/徒弟制度と共同体の規律

建設業の話に入ります。建設業ってどんな産業かって言えばみなさんある程度のイメージはあると思うのですが、人間関係の面で言えば「現場監督を頂点としたヒエラルキーが強固である」ということが言えます。これはすなわち、師匠とその弟子たちという一つのチームで工事を行っていく徒弟制度が敷かれていると言い換えることもできるでしょう。

現場ではそういう小規模なコミュニティが一体となって、おおむね同じような服装で仕事にあたります。前回説明した「記号」の考え方(参考リンク→前回講義「記号論」の説明を用いて説明するならば、作業に当たるための服装は、その集団への帰属意識を象徴する存在でもあったということになります。わかりやすく言い換えれば、チームとしての一体感を表現するのが作業服である、という暗黙の了解が存在したとも言えますね。

そういう状況において、若い下っ端の作業員が突然ジーンズを履いて仕事に来るという状況はなかなかに考えづらいですよね。

下っ端の「弟子」である者に求められる動き方というのは、第一に、師匠となる現場監督を「真似る」ということです。もちろんここで真似る対象となるのは「仕事の進め方・方法論」はもちろんのこと、「所作・ふるまい」までも含まれるのは言うまでもありません。そうなると、「ジーンズ姿の若い作業員」という存在は、そのことが「徒弟共同体の規律に対する反抗」、もっと有り体な言い方をすれば「コミュニティの和を乱す行為」と捉えられます。そして徒弟共同体においては必然的に、そのようなムーブは排除されることになります。「おい若者よ、そのズボンはねえだろ」みたいに。

そうなるとジーンズ等のアメリカ型ワークウェアは、最初に挙げたいろいろな理由も相まって、なおさら普及するはずがないのですね。一応補足しておきますと、今の建設業界ってそこまで共同体意識がエグくはないです。まあ次回、こういうことについては説明することになるかなと思います。


さて、この徒弟制度、「守破離(しゅはり)」という言葉でも説明できるかなと思います。ちょっと脱線しますが、やっぱり皆さんに知っておいてほしいことなので説明します。


▼補足的脱線/「守破離」とは?

「守破離」という言葉はもともとは茶道や武道などの芸事の修行過程を表した言葉で、修業は「守」「破」「離」という3段階のフェーズから成っているんだよ、という意味があります。で、それぞれの意味について触れていくのですが、例えとしては新日本プロレス(以下「新日本」と略します)の歴史を用いてやっていくことにしましょう。

え? プロレス知らない? 見たことない?
うるせえ!プロレスは人文学の説明につきものの教養なんだよ!
覚えとけお前ら!


*守:師匠の教えや基本の型を忠実に守り、身に付ける段階

新日本において、入門生はまずは徹底的に団体の伝統や基本をマスターすることになります。この期間において新弟子たちは道場での過酷なスクワットや受け身のトレーニングを積んで体作りを行うと同時に、新日本の代名詞「ストロングスタイル」、すなわち相手の技を逃げることなく受け止め、さらに力でねじ伏せる真剣勝負の思想を体に叩き込みます。   

*破:基本の型を破り、他の流派の教えを取り入れて応用・発展させる段階

プロレスラーが団体を代表するスターとなるべく、「世代闘争」と称して上の世代を全否定する戦いを繰り広げる期間です。武藤敬司がアメリカで「グレート・ムタ」という毒霧を吹く化身を生み出し、新日本の「正統派ストロングスタイル」という型を内側から破壊したのも一つの例と言えます。 

*離:師匠の型から離れ、独自の新しい境地・スタイルを確立する段階

独自の哲学を確立し、元の教えというか所属団体から精神的・物理的に飛び出して、自分自身が新しい「守」の対象、「神様」みたいな存在になる期間です。格闘技路線や殺伐としたプロレスを全否定し、チャラい雰囲気を醸しつつ「愛してま~す!」と叫んで「破」を成し遂げた棚橋弘至は、「明るく激しいプロレス」という独自の型で「離」を達成することになりました。


そしてここからが肝なのですが、どんな芸事においても、誰かが「離」に到達した際には、その人の「型」が次の世代にとっての「守」になります。このサイクルは連鎖していくんです。さっきの棚橋弘至の「離」について言えば、棚橋が確立した「明るく激しいプロレス」が彼自身の引退を経て、今の若い世代にとって「守」の対象として機能している、ってことになります。

まとめると、プロレスとは、「弟子が師匠の型を命がけでぶち壊し、新しい型を作り、それを次の世代に壊させる」という、永遠に続く守破離の人間ドラマなのです! 分かった? 今後キミらもプロレスをこんな視点で見てみると面白いかもよ、ってことで。だんだんプロレスの説明になってしまって本筋を大幅に脱線しちゃったけど、「守破離」の考え方もこれでわかってください。

建設業の例に戻れば、弟子にとって監督の下でいろいろなことを学ぶ期間が「守」なのですね。一人前になって監督のメソッドとは異なる方法を提案するようになるのが「破」、その後、監督の元から独立して自ら新しい徒弟共同体を作る段階というのが「離」ということになります。


そしてこの「守破離」。作業服の歴史上、「守」であり続けた建設業においても戦後ひとつの大きな「破」がついに訪れることになります。


▼鳶ニッカポッカの誕生

鳶職。辞書的な意味では「建設現場で高所での作業を専門に行う職人」です。もちろん誰でもできる仕事ではありません。高所作業に委縮しない精神力と、何より強靭な筋力、体力。

TBS系列の特番『SASUKE』って知ってるよね? みんな大好き「聖地緑山の鋼鉄の魔城」のアレです。今でこそ専門のトレーニングを積んだ選手が上位を占めていますが、実は番組開始当初は鳶職の方が上位を席巻していたという時代があります。そんな例から見ても分かるように、鳶職というのはまず第一にフィジカルエリートであることが求められる職種なのです。

で、危険な作業に従事するからこそ、自らの身を守るワークウェアに求める要求水準も必然的に高くなります。もっといいワークウェアはないのかという思いはやっぱり当時の職人の中にあったのだと推測できます。そんななかで戦後、きっかけとなったのは「あれ良さげじゃね?」というひとりの鳶の思い付きでした。「あれ」とは何か。そう、前回説明しました。明治時代に知的エリートが着用していた「ニッカポッカ」です。戦争はもう終わりました。だからもう敵性品排斥なんて気にする必要もない。

実際に着てみると、いいんですよねこれ。汗でズボンが脚に貼り付かないしそもそも動きやすい。高所作業で強風を感知できるし、万が一落下の事故が起きても太ももの部分の造りが太いのでなにかに引っかかって最悪の事態を免れることができる。ということで、鳶の職人たちの間に爆発的にニッカポッカが普及していきます。

補足しておくと、鳶職人というのはそもそも「高所で働く姿そのもの」が仕事の一部なんです。これって他の人たちに「自らの職能を見せる」ということでもあります。「見ろよ!俺の仕事!」って。鳶職人の世界はこんな個人能力主義的なところがあって、先程説明した建設業の共同体規律というものがあるにはあるんだけれど若干薄い。だからこそ、こういうイノベーションが起きる下地があった、とも言えるんですね。


今日最後に紹介するのは昭和32年着工、翌年完成の東京タワー建設中の様子を描いたイラストです。現場に従事している鳶職人たちが、揃いも揃って鳶ニッカを着用している。ここでちょっと思い出してください。戦時中には「国家が意味を付与する服」であった国民服をみんな着ていた。でも戦後になったら、こうやって自ら意味を見出した服を鳶の現場作業員が着ている。これって感動的だと思うんです。

そう、何かを変える力ってのは、ほんらい、わたしたち一個人がそれぞれもっているはずなんですよね。

東京タワー建設中の鳶職人の様子を描いたイラスト。職人はニッカポッカを着用。


ということで、今日の講義はここまでです。
次回は一気に現代まで進んでこの講義は終了です。
あ、最後にテストがあるので、単位欲しい人はみんな来いよ!

再見!



第3回はこちら!

0 件のコメント:

コメントを投稿